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奄美で暮らしの保健室をはじめました

僕は医者だけど病院が嫌いだ。

正確には嫌いでした。


病院の待ち時間も、全然話を聞いてくれない先生も、良くわからないままうける検査も、お会計の明細書に書いてある訳わからない暗号も

出してもらったけど効果がない薬も、学校休んでまでいかなければいけない次の再診日も、


事務的な質問だけで気遣うそぶりもない看護師さんも、ニヤニヤしながらインフルエンザの抗原検査をする研修医も


全部嫌いでした。

病院はなんて、僕の嫌いなものが沢山詰まった大きな箱だろうか。

できれば行きたくない。

そもそも、病院が好きな人なんているんだろうか。

でも、人は怪我や病気になるだろうし、赤ちゃんは産まれるし、人はいつか死ぬ。

救急外来には

「もっとはやく病院にきていたら、、」

「1年前から病院に行きなさいって言ってたんだけど、この人病院嫌いだから」

「ずっと悩んでいたけど、何科に相談したら良いか分からなくて、、」

という場面によく遭遇する。

医療者がもし、身近にいたらすぐ相談して「あ、それは病院に行った方が良いよ」とか「それは、これしたら治るよ」とかアドバイスできるのに

医療者は病院というお城(牢屋)に閉じこめられているから、中々気軽に相談できない。

だから、医療者はもっと病院の外に出て社会に入り込んだ方が良いと思う。

街の人の「暮らし」にもっと入りこんで、気軽に相談できる学校の「保健室」の先生みたいになった方が良いと思う。

そうしたら、健康な人はもっと健康になるだろうし、病気になりそうな人がいたら方向転換のお助けができるかもしれない。

とういうことで、ことくは「暮らしの保健室」をはじめることにしました。

ことく自身もこの病院という大きな箱に閉じ込められているのが限界でした。

同じ志をもつ仲間を集めて

徳之島出身の三島研修医にコーヒーが淹れれる清水研修医が仲間になりました!

看板を作って

奄美FMで宣伝をして

チラシを配って

大好きな街のピアノの前でコーヒーを配りました。

コーヒーを配っていると、ラジオを聴いてくれた人やInstagramやチラシを見た人たちが遊びにきてくれました。

中には長年の悩みを打ち明けてくれた人や家族の心配事を相談してくれた方もいました。

僕たちは病院じゃないから、紹介状を作ることは出来ないけど、僕たちが病歴をまとめた問診票が病院を受診した際に病院の先生の問診の助けになれば幸いです。

奥村研修医も応援に来てくれました

なかなか忙しい救急外来では患者さんとゆっくりお話をする時間はありません。




暮らしの保健室では病気の話だけでなく、家族のことや普段の生活のことなどを聞かせていただきます。




研修医の2人は相談にこられた方の将来の夢まで引き出してくれました。

暮らしの保健室で「夢」がみつかるかもしれませんね。

4時間はあっという間でした。

「来てよかったです」


という言葉も貰えました。

暮らしの保健室が少し街の人の役に立ったかもしれません。

何より、病院の外で街の人と交流できたこと、自分の知識が役に立ったことを実感できたことが僕たちも嬉しかったです。

この活動が奄美大島のあちこちに広がって

色んな人が暮らしの保健室を通じてつながったら、奄美大島はどんどんすてきな島になりませんかね?

ネリヤクリニックのみえママも応援に来てくれました!
三洋スポーツさん机や場所の提供本当にありがとうございました!

これからも細く、長く続けたいと思いますので、「暮らしの保健室」をどうぞよろしくお願いします。

次回は9月か10月あたりを予定しています。また宣伝しますのでinstagramのフォローよろしくお願いします!

https://instagram.com/amamihokenshitsu

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明け方の帝王切開〜「先生が手術に入ってね」

今日は明け方に緊急帝王切開で呼ばれました。

切迫早産で長いこと入院していた患者さんでした。

いよいよ予定帝王切開でのお産が近づいていた真夜中、陣痛が先にきちゃいました。

その前の健診で、患者さんと「自分が手術に入るから」と約束していたので走っていきました。

真っ暗な病院までの道を走っているときに

オーストラリアのruralGP(産科総合診療医)のマックスウェル先生が

「僕はもうお産は引退したけど、今日の帝王切開は患者さんと約束してたから」と走って行ったのを思い出しました。

マックスウェル先生はオーストラリアのダルビーという小さな町でひ孫からひいおばあちゃんまでの三世代の健康を見守る本物の家庭医。

小徳がオーストラリアの僻地医療を学ばせてもらった時に、いつも丁寧に教えてくださった紳士的な先生。

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小徳がダニに噛まれた時も夜中にとってくれました

あれから3年。

あの時は小徳はまだ総合診療医の駆け出し。お産なんか取ったことなかったし、人のお腹を切ったこともなかった。

あれから3年。奄美大島で妊婦さんと向き合い続けてきました。

お産がとれる家庭医の道のりは遠いけど、

少しずつ憧れのruralGPに近づいているかな。

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グアバの実を収穫して感じた「考えて行動すること」が最強説

「考えて行動する」が最強?

当たり前じゃないかと思う方もいるかもしれませんが、コトクは「考えないで行動する」派だったので、それに気付いた時は目から鱗でした。

数時間の出来事でしたが、人生が詰まっているなと思った経験をしたので共有します。

うちの病院の図書室の窓から中庭に生えているグアバの木が見えます。(さすが南の島!)

そして季節外れの美味しそうなグアバの実がなっていました。

図書室にいる事務の方が「美味しそうだけど、届かないからいつも鳥の餌になっちゃいますね」と少し寂しそうに話されました。

「そしたらコトクが取りますよ!」とベランダにぴょんと出て、ベランダのヘリに座ってグアバの実を取ろうとしました。

すると事務さんに「危ないですよ!落ちちゃいますよ!」と半ば叫ぶ様に言われました。

『グアバの実を取ろうとして産婦人科医2階から転落』の新聞の見出しが頭に浮かび、ヘリからしょんぼりと降りました。

少し考えて、昔じいちゃんが作った柿を収穫する仕掛けを思い出しました。

病院のゴミ置場まで行き、壊れた点滴台を拾って来て、糸を使って仕掛けを作り始めました。


すると、通りかかった研修医君が「何やってるんですか?手伝いますよ!」と手伝ってくれました。

彼がアイディアを出して、棒の下にビニール袋をつけて、2人でグアバの実を取ろうと試行錯誤していました。

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そしたら先程の事務の方もクイックルワイパーの棒やガムテープを貸してくれました。

さらには透析室の窓から看護師さんに「グアバですか、いいですねー」と声をかけてもらえました。

そして、何とかとった小さなグアバの実1個を研修医君と2人で分けて食べました。小さいときにおじいちゃんと柿をとった思い出話をしながら。

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はじめて食べる生のグアバは甘酸っぱくて美味しかったです。

ここで思ったのが、「あの時考えないで行動していたらどうなっていたのか」です。

確かに一人でベランダのヘリから身を乗り出して、グアバの実一個くらいは何とか取れたかもしれない。

でも、こうして研修医君と成功を分かち合うこともなかったし、研修医君も事務さんも手伝ってくれなかったし、もしかしたら、本当にベランダから落ちて怪我をしていたかもしれない。

「考えて行動する」と周りの人が応援してくれる、手伝ってくれる、手伝ってくれた人と成功や失敗を分かち合い、共有することができる。

あー、これは人生だなあと思った出来事でした。

「考えて行動する」この積み重ねが人生を少しずつ豊かにするんだなあ。