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離島医療文化人類学@オーストラリア

G’day mate! ゲネプロ2期生の小徳です!!

さあ、ここはどこでしょう?

オーストラリアの僻地dalbyに来ています!!

Dr.コトーを目指して鹿児島に行ったら、長崎の五島に行って、どういうわけか今オーストラリアの僻地にいるのだから人生何があるかわかりませんね。

お約束のウンチを踏みました。

ゲネプロの2期生9名はそれぞれ、1年の国内の僻地医療研修をこの3月で修了し、オーストラリア、モンゴル、ネパール、アメリカ、キューバ、離島(日本)と、それぞれの世界の僻地研修へと飛び立ちました。

小徳は最初の1ヶ月はオーストラリアのQueensland州にあるDalbyという街に来ています!

Brisbaneから車で3時間の農業、工業を中心とした人口12000人の綺麗な街です。

僻地といっても、街にはおしゃれなカフェやスーパーもたくさんあります。
なので、ブリスベンを東京とすると茨城、山梨みたいなところとイメージしていただければ、もしくは福岡からの佐賀的な?

広大な土地と牛と野生のワラビーがいます。

最初の1週間は私立のmyall medical practiceというクリニックを見学させていただきました。



Ross先生が指導医で小徳の貧相な英語にも関わらず、丁寧にオーストラリアと日本のシステムの違いを教えてくれました。

Ross先生は小徳の理想とする GP(総合診療医)でDalbyで産科総合診療医として、ひ孫からひいお婆ちゃんまで5世代を守る家庭医です。

オーストラリアのGPはすごいぞー!

特に皮膚科に強い!!(皮膚ガンが多いから)


そして、これは小徳です。

tick(ダニ)が小徳の背中に食い込んで、めっちゃ焦ってメチャクチャな英語でRoss先生に電話したら、週末の夜にも関わらず取ってくれました。

優しくて、紳士的で、教育熱心!!

小徳はこの3ヶ月は医療をしに行くわけではないのです。診断したり、新しい治療法を勉強するわけではないのです。オーストラリアに実際に行って、現地の言葉を学んで、文化を理解し、日本との違い、共通点を比較検討するのです。

これって何かに似ていませんか?

そう、『文化人類学』という学問のフィールドワークです!!

(1)現地語の習得、(2)長期にわたる観察、(3)参与観察ですよ!!

もともと文化人類学は、欧米の人類学者が遠い外国の奥地を訪れて、文化を観察し記述するところから始まりました。欧米の人類学者たちが驚いたのは、「未開」だと思っていた地域にも独自の社会システムがあり、欧米とはまったく異なる方法で、実にうまく機能している、ということでした。(中略)
人類学者たちは次第に、自分たちの文化に対しても目を向けるようになります。外国の文化を観察するのと同じ目線で、自分たちの文化を見つめ直すようになったのです。そうすることで、今まで当たり前すぎて意識もしなかった自分たちの風習や日常的な行為が、実は当たり前のことではなかった、と気づくようになります。
(略)日常の「当たり前」を一歩引いたところから眺める目を養ってくれる学問、それが文化人類学です。

『当たり前』を問い直す文化人類学とは?

オーストラリアの僻地医療が全部そのまま、日本の医療システムに合うとは限らない、でも百聞は一見にしかず。オーストリアの僻地医療を見ることで、日本の医療が見えてくる。

『離島医療文化人類学』、、面白い学問ではないですか?

発見とは人と同じものを見ながら、人の気づかないものを見つけることである ~ セント・ジェルジ(ハンガリー医学者)

それでは、また!!

蛍の光

ほーたーるのひーかーあーりー

上五島病院薬局の浦田さんが小徳家の門出に蛍の光を演奏してくれました。

沢山の人がお見送りにきてくれました。

いまだに信じられないです、、

僕は離島医療の最大の魅力はやっぱり、『その島を愛したら愛した分だけ自分に返ってきて、それを実感することができること』だと思ってて

上五島の人は本当に温かくて、患者さんも病院の人も、町の人も、この1年で大好きな、大切な人になりました。

紙テープはとても綺麗で、切れてしまうのがとても悲しくて、船が前に進むことがとても恨めしく思いました。

上五島での1年はあっという間で、小徳が初めて、研修医としてじゃなく、一人の医師として離島医療にどっぷり浸かることができた1年でした。

しかも、自分が高校の時に離島医療を志すきっかけとなった長崎の島で離島医療を出来たのは、一つ高校生の時の自分の夢を叶えてあげられたのかなと。

初めての離島医療はとても濃ゆくて、1年では学びきれなかったです。

整形外科、精神科、在宅医療、小児科、、、もっと勉強したかったです!!

小徳は毎日、毎月のように怒られながらも、なんだかんだ上の先生たちが優しく教えてくれたおかげで、途中で挫折することなく1年を終えることが出来ました。

チーム岸川

前より沢山の患者さんをハッピーに出来る力がついたのかな?

ゆとり世代の小徳は褒めて伸びるタイプだから、怒られ慣れてなくて、月一マジおこは何度も心が折れそうになりました。

上五島病院はドラゴンボールの亀仙人の修行みたいな感じで、めっちゃギリギリのところまで負荷をかけまくって、亀の甲羅を外したら、『あれ?めっちゃ飛べるやん!?』みたいな感じになってる病院でした。



小徳は次はオーストラリアの僻地に3ヶ月行って、オーストラリアと日本の僻地医療の違いを見学してきます。

その後、8月から、また鹿児島に戻って、産婦人科を勉強するつもりです!!

蛍の光とかいつもオルゴールで歌詞なんて知らなかったけど、調べてみたらぴったりな歌詞でした。

浦田さんありがとう


2番から〜


故郷に残る者も 去り行く者も今日限りなので 互いに想い合う無数の思いをたった一言『どうか幸あれ』と歌うのだ

どうか幸あれと歌うのだ

手技の虫は変態中

手技の虫とは

手術や気管挿管などの手技を身につけるのが大好きな、主に若い医師のことである。救急外来やオペ室などによく発生する。
引用:(手技の虫

漆黒の闇に舞い降りた堕天使が折れた翼に熱い抱擁と接吻を交わす

(意訳:ゲネプロワークショップでギブス固定の練習をしました)

こんにちは!地獄のミサワ、ルシフェルことゲネプロ2期生の小徳です!

ゲネプロは日本の離島や僻地で働ける総合診療医を育てるためのプログラムです!週に1回のWebinar(Skypeでの授業)や年2回のワークショップを行いながら、日本の離島や僻地で1年間総合診療医として働き、3ヶ月間世界の僻地に行くプログラムです。

Webinarの様子(注:小徳は居眠りしていません。)

冬のワークショップは福岡の秋本病院にお邪魔して、産婦人科、整形外科、緩和ケア、在宅医療、僻地での外来管理、CT診断など、盛りだくさんの内容を2日間で勉強しました。



いつもはシーネ固定だけど、ギブス固定できると大人になった感じがします。

今回もオーストラリアからロナルド先生が来てくれました

在宅医療や外来など、結局一番大事なのは患者さんとのコミュニケーション

ていうか、愛ですよね!!

今回、在宅医療を福岡でされてるコールメディカルクリニックの岩野先生が緩和ケアについて教えてくださいました。

患者さんの人生の物語を引き出し、それを紡ぎ、手伝うのが僕らの仕事だ。

ゲネプロ2期生としてオーストラリアのrural GP(僻地総合診療医)のように、お産も取れて、内科、救急、整形外科、皮膚科、緩和ケアと何でもできる総合診療医を目指して、1年がんばってきました。

でも、基本は内科医として外来や病棟の仕事に追われて、中々お産だったり、整形外科だったりを実践することができず、産婦人科の先生にお産を呼んでいただいたり、当直の時に脱臼の整復を整形の先生に教えてもらいながらやったりと、少しずつ勉強することしかできませんでした。

そんな中、僕の医者人生で忘れられない体験をしました。

夜中3時に産婦人科の先生に人手がいるということで、お産で病棟から呼ばれ、無事正常分娩で元気な赤ちゃんが産まれました。

ネットから引用

一旦家に帰るか、どうしようかな、と考えていると訪問の師長から電話がきて

僕が在宅で見ているがんの終末期の方の呼吸が止まったとのことでした。

入院した時には、がんの終末期で、家に帰れるか不安でしたが、娘さんが強くお家で最後を迎えさせてあげたい気持ちが強かったため、ケアマネさんやソーシャルワーカーさん、訪問看護師さん、家族と話し合い、なんとか家に帰ることができました。

大好きなお風呂に入り、好きだったリポビタンDを飲んで、患者さんの最後はたくさんの家族に見守られ、穏やかな顔でとても綺麗でした。

一日の中で生と死を体験して、1年前に上五島で働き始めた時の自分と比較して、少しだけど成長できたのかなと、上五島で働けて良かったと思いました。

それでも、揺り籠から墓場まで見れる医師になる道のりは遠いなー。

今の日本では、生まれることは、あたかも光で、死ぬことが、影のように扱われているけれど

本当に愛のある死は、生まれるのと同じくらい美しいと思う

医療者や病院が、その美しい瞬間を家族や地域から奪ってはいけないと思う


ワークショップの最後に秋本病院の院長の先輩である岡原先生の本をいただきました。

小徳が島でやりたいことを山口県周防大島でハグ先生こと岡原先生がやっていました!!

空き家を利用して高齢者の共同住宅を作ったり、廃校を使ってコミュニティスペースを作ったり、超高齢化社会を迎える日本のロールモデルになるべく笑顔で楽しく離島医療をされています。

「笑顔がもらえて、自分も笑顔を返しながら最後を迎えられたら、何歳でも、どんな病気でも、大往生ならぬ『ええ往生』なのではないでしょうか」

『大往生まではいきゃあせんが、笑顔でええ顔で亡くなった”ええ往生”じゃけえ、ひとつも悲しいこなんかありゃせん。たいがいにええことじゃ。さあ、きんさい、きんさい』

こんな感じで地域の人が、誰かの死をお祝いのように、その人が一生懸命生き抜いたことをねぎらい、お祝いして、送ってあげる、そんな島が作りたいなあ。