種子島医療センター「行医愛人」
小学校低学年の時クラスに障害をもった子がいて
僕は小さな町の医者の子ってだけで席替えの時に
「ラカン君はお医者さんの子だから」
って担任の先生に一番前の席でその子の隣の席にされて、みんなにからかわれるし、その子は授業中でも突然暴れたりするから凄い嫌だった記憶がある
医者の子ってだけで、僕は何も出来ないし、そんな差別をする先生も嫌いだった
小学校高学年になって僕は神奈川に転校して、その子は高学年になったら特別支援学級に入った
この前小学校の友達に会ったときにアルバムを見せてもらって、その子が卒業式でキリッとした顔をしている写真があって、なんだか感動した
島のこどもはみんな元気で健康!
ってのは幻想で、島にも医療的介入が必要な子供や、みんなと一緒の授業を受けるのが難しい子供はいます
種子島にも特別支援学校が一つだけあります
今日は突然ですが、お願いして鹿児島県立中種子養護学校に見学にいってきました
小中高合わせて40人の生徒がいて、生徒それぞれの個性に合わせて担任の先生達が試行錯誤しながら授業を行っています
もともと養護学校(現特別支援学校)は1979年にやっとこさ各都道府県に設置が義務づけられた新しい学校システムです
それまでは、障害者は勉強しなくていいという差別的な考えもあったと思います
実際に、まだ障害をもった人が勉強を続けたくても大学へ進学することが難しく
ほとんどの生徒が高校や中学を卒業したら就職したり、施設に入ったりしているのが現状です
また、養護学校に対する差別もまだ色濃く残っていて
「そんな悪さばかりしてると、○○(養護学校)に入れるぞ」
なんていう方もいます(意外と年配の方が多い)
なので、親も養護学校に入れることに抵抗がまだあり
普通の学校で問題児として扱われたり、普通の学校の特別支援学級に入ったりしていて
なかなか、自分の病気や個性に対して、理解のある大人や周りの環境に出会えることなく
高校中退したり、卒業後も、社会とうまくやっていけずに、結局引きこもりや、ニートになってしまうことが多いそうです
今の日本は社会的に弱い人たちにとって優しい世界でしょうか
どんなに文明が進んでも、どんなに医療が進歩しても、治らない病気はあるし、その人達は、この社会で生きていかなければならない
僕たち医者としてできることは少ないけど、地域、教育機関、行政、企業が協力しあって社会との橋渡しが出来たらなと思いました
僕の夢はそんなユートピアを島で実現すること
それを世界のロールモデルにすること
「行医愛人」医の道は厳しい、修行と心得、精神努力しなさいその際、病める人を愛することを忘れないように
医科歯科の産婦人科の藤井久四郎先生の言葉でした