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雲の階段

長崎の五島列島から帰ってきた小徳は「やっぱりお産を取れる様になりたい」、「離島医療に必要なのは産科だ」と思い、鹿児島大学の産婦人科に入局しました。

お産が取りたいと思い意気込んでましたが、最初の所属は小徳が最も苦手とする「婦人科悪性腫瘍」でした。

子宮体癌、卵巣癌、子宮頸がん、化学療法、、、。

総合診療科では外傷の傷は縫ったりはしていましたが、メスを持ったことはありませんでした。

婦人科腫瘍の患者さんの手術をひたすら腫瘍専門の指導医のもとで助手をし続けました。

最初は苦手意識のあった「癌」の世界。

外来で「癌です」と診断され、絶望の表情で入院して来た患者さんが退院するときには晴れやかに「先生、ありがとうございました」と帰っていく。

手術が終わった後も、長い術後の化学療法のため毎月の様にお会いする様になります。

化学療法で毎月入院するたびに顔を合わせていると、手術前は余裕が無くて話せなかった、趣味だったり、お仕事だったり、家族の話をしてくれる患者さんもいます。

長い入院生活になるといつの間にか患者さん同士が仲良くなって、先に退院する仲間の激励したり、副作用がキツそうな時にナースステーションに友達が走って教えに来てくれたり。

そんな中で、再発をしてしまった患者さん、最後まで化学療法をやり終えて病院を卒業する患者さん、治療をやめてお家でゆっくり過ごすことに決めた患者さん。

最初は苦手意識のあった「癌」の世界。

自分がその世界から目を逸らしていたら知れなかったことや、出会えなかった人に沢山出会えました。

ある日、いつもの様に麻酔がかかった患者さんの手術の準備をしていると、後から指導医の先生が入ってきて、いつも僕が立っている位置、つまり患者さんの右側に立ちました。

「、、早く始め。」

指導医の先生は小さい声でボソッと言うと、一瞬手術室はシンとして、機械だしの看護師さん、麻酔科の先生はチラッと僕の顔を見ると、いつも通り自分の作業を続けました。

なんとなく状況を理解しました。

「、、●●さん。■の診断で手術を行います。術者の小徳です。お願いします。」

震える声で手術開始の挨拶をする。

僕は機械だしの看護師さんからメスを受け取り、一気に皮膚切開を加えた。

そこからの記憶はあまりなくて、初めての執刀は結局指導医の先生に言われた通りに動く、ここ掘れワンワン状態でした。

指導医の先生は離島医療がしたいと東京から来た僕を「雲の階段」に出てくる「三郎」みたいだと言って何かと可愛がってくれました。

化学療法の名前も卵巣癌の種類もわからない小徳に教科書じゃなくて、「雲の階段」を最初に貸してくれました。

小徳は三郎と違って「無免許医師」ではないですが、今までフワフワ、フラフラと流されて生きてきました。

大学病院という大きな組織に入って1年、帝王切開も分娩も、少しずつ出来ることが増えてきました。

大学では新生児蘇生もします

こんな大きな病院で働くのは初めてで、大きな組織は自分に向いてないと思っていました。でも実際は、上の先生も、スタッフもみんな優しくて、自分の学びたいこと、やってみたいことを思いっきり挑戦できた素敵な1年でした。

7月から3ヶ月間鹿児島医療センターで婦人科を再度勉強して、10月からはいよいよ小徳待望の奄美大島に行きます!!

また、コトークは島に行きます!!楽しみです!!

この1年で学んだことを生かして、また離島医療に挑戦します!!

奄美大島を世界一健康で幸せな島にするぞー!