孫が7人、ひ孫が15人
僕の手はあったかい。でも、手汗をかくから、昔から手を繋いだり、握手をするのが苦手だった。
この前、入院患者さんのカルテを眺めていたら、患者さんと看護師さんの会話に『孫が8人、ひ孫が13人いるんだよ』と患者さんが話していた。
その時、急に一人の患者さんを思い出した。
研修医1年目の時に初めて、僕が看取ったおばあちゃんだ。
手が冷たくて、僕が手を握って『今日も手が冷たいですね』と言うと『先生の手はあったかい。この手を握ると元気が出る。』といつも両手で僕の手を握ってくれた。
『私はね、孫が7人、ひ孫が15人いるんだよ』と嬉しそうに、毎日同じ話をしてくれた。
一人暮らしだったから、リハビリを頑張っていた。それでも、繰り返す肺炎で、耐性菌(抗菌薬が効かない菌)が出てきてしまった。そして、強い抗菌薬に体がどんどん耐えられなくなっていった。
どんどん元気が無くなって、ご飯も食べなくなって。僕のことがわかるときと、わからないときが出てきた。
医者1年目の僕は、指導医の先生がどんな治療をしているのか、なんでご飯を食べないのか、どうして元気がないのか、理解できなかった。
どんどん認知が進んだおばあちゃんは、オムツいじりをするようになって、爪の間にはいつもウンチがついていた。
ベットに横たわって、ブツブツといつも何かを呟いていた。それでも、僕が手を握ると『あれ、先生。』と目を覚ますことがあった。そして、いつもの『私はね、孫が7人、ひ孫が15人いるんだよ』と話し始めてくれた。
入院してから3ヶ月で、元気にリハビリしていたおばあちゃんが亡くなった。
僕はその科のローテーションは終わっていたけど、指導医の先生が呼んでくださり、初めての看取りをさせていただいた。
瞳孔の対光反射がないこと、心臓の音、呼吸の音がしないことを確認して、『◯時◯分、確認しました。』
(お辞儀をする)
、、、(あれ。次になんて言えばいいのか、わからない。)
隣に泣いている家族がいるのに、なんて声をかければ良いのかわからない。僕は泣いている家族と、いまさっき亡くなったおばあちゃんを前にして、立ちつくしてしまった。
そしたら、一緒に入ってくれていた師長が代わりに声かけをしてくれて、僕は、バツが悪そうに、部屋を出た。
大好きな患者さんの最後に、なんの声かけもできなかったことが、恥ずかしく、悔しくて、悲しかった。
上五島病院に来て、この半年で沢山の患者さんをお見送りさせていただいた。時には、心臓が止まったまま救急車で運ばれて来られた、初めてお会いする患者さんのお看取りをしなくてはいけない時もある。
研修医のあの時より、亡くなった患者さんへの最後の言葉を、家族へのケアの気持ちを、うまく伝えれているだろうか。
それでも、人の死や、病気に慣れてしまうことも恐ろしく感じていて、ふとした時に、自分が悪い意味で『医療者』になってしまいそうな時があり、初心に還る意味を込めてこの記事を書きました。
『認知症で人生終わりになんて僕がさせない』
『ケアニン』が上五島の迎賓館でも放送されます!!いえーい!!
小徳は勉強会で行けませんが、、是非みなさんみてください!!